2011年04月17日
私たちに何が出来るのでしょう?
3月12日朝は、日本人の素晴らしさを体感しました。皆起き出すと同時に言われるまでもなく、毛布をきれいにたたみ、クッションに使っていた段ボールなどをゴミ箱周辺に集めていました。毛布を集める放送があった時にはすでに準備が整っている状況でした。日本人は物心両面で復興できる、と確信のようなものが湧いてきました。その後インタビューされる東北の被災者の皆さんの冷静な受け答えの素晴らしさにも感動しました。
実は周囲の大阪の経営者で、あの日、結構東京で一時難民の経験をされた方が多いのです。東京にいろんなものが集中している一つの例ですね。東京一極集中をさせてしまった大阪人の責任も感じました。大阪はもっと頑張らなあかん。
4月12日、わが社が所属する工場団地組合主催の、青山繁晴氏の講演会がありました。とても熱い講演で、テレビで見る青山氏よりも何倍のエネルギーを使って講演いただきました。福島原発問題から、地震発生地域だからこそ近海に多く埋蔵されているメタンハイドレードのお話、最後は硫黄島の戦没者遺骨収集問題まで、とても熱く語っていただきました。共通している課題は、私たち日本人の覚悟と決断です。福島原発はやはり初動に大きな問題があったようです。水素爆発があった時点から危機を全てお見通しだった米軍の放射能事故処理能力をもっと活用すべきだったのでしょう。さらに、これ以上の原子力発電所の建設が難しくなる中、メタンハイドレードが大きく脚光を浴びるはずですが、石油メジャーの圧力に屈している日本政府は何もしようとしません(わざわざ埋蔵量の少ない地点で調査研究している振りをしているだけのようです)。そして玉砕後の硫黄島で遺骨を並べた上に米軍が作った滑走路をそのまま使用している日本政府。どれも何が大切か忘れてしまっている私たち自身が問われています。情けない日本政府を生み出しているのも私たちですから。
私たちに何が出来るでしょう? まずは日本を物理的な復興だけでなく、日本人の心の復興をそれぞれの家庭で、学校で、会社で行うことが一の出来ることであり、やらなければならないことです。それぞれの立場で出来ることが見えてきます。日本人の素晴らしいDNAを活かしましょう。
2011年03月15日
東日本大地震・津波に被災された皆様へ
現在、ほとんどのお客様、特に災害地に近いお客様やご協力工場との連絡は取れ、ご無事を確認させていただきました。それだけでも安堵している次第です。しかし、依然一部のお客様とは連絡が取れておりません。
電話回線の混乱は今だ続いており、こちらから電話させていただくのは困難な状況です。いただくお電話は受信できています。皆様のご無事をお祈り申し上げます。
上記の通り無力ではありますが、何かお役に立てるよう考え行動してまいります。ご入用な物などございましたらご連絡下さい。物流が許す限りお届けする努力をいたします。
政治の混乱で日本をまとめるリーダー不在の状況でしたが、これを機に国民全員一丸となって東日本の復興、および日本全体の改革改善が進むのではないかと期待します。我々日本人一人ひとりが天に試されているように感じております。皆様と共に頑張って参ります!!
2011年02月26日
トロフィー業界展示会 in ラスベガス
22日火曜日から、ラスベガスに来ています。今は、最後の夜を迎えたところ。
ギャンブル目的ではありません。毎年この地で、トロフィー業界の展示会が行われているので、その視察にやって来ています。彼これ10年近く毎年訪れ、展示会で新しい情報を仕入れています。もちろんアメリカの会社が中心ですが、欧州、南米、中国からも米国市場を狙って出展しています。
アメリカには、ARA=Award & Recognition Associationという業界団体があり、そこの主催です。このARAには、メーカー、問屋、小売、関連機械会社などが参加しており、日本では考えられない盛況ぶりです。セミナーも多く開催され、学ぶ機会もたっぷりあります。また業界で毎年アメフトのフェアプレー賞を出していて、世に話題提供しています。さらに奨学金も出しています。
日本では、製造側の協同組合や親睦団体はありますが、このような本当に業界の発展を目指したものはありません。(WINは一匹狼的で、一切そのような団体には所属していませんが) しかし、ARAのような団体が立ち上がれば、喜んで参加します。また立ち上げる発起人になっても良いと考えています。でも一匹狼の会社の声は今の時点では届きません。近い将来、きっと立ち上がげます。
今回の展示会もとても有意義でした。すでに何社か取引している会社がありますので、総花的に見て回るのではなく、そこの新製品を見てさらにじっくり今後の事など話すことが出来ました。そうすることで今までこの展示会で手に入れたテクニックや商品のさらに奥深い所を知ることが出来、それがWINの新商品開発に大いに役立ちます。
さて、ラスベガスに来ているのですから、仕事ばかりでもありません。夜はシルクドソレイユのショーや、ナパワイン&本格的ステーキを楽しんでます。今年のシルクドソレイユは、ビバ・エルビスを観ました。これでラスベガスで現在上演されている7つのシルクドソレイユのうち、6つを制覇しました。また来年必ず来ます。
2011年02月06日
アワードへの魂注入が危機に瀕しています
しかし、このアワード業界では昨今、この儀式が非常に軽んじられています。魂の注入、本物の付加価値を生む過程を、「文字代込み」「文字代無料」などの行為で、大げさに言えば汚しているのです。
アワードの意義を深く考えお伝えする前に、トロフィーと言うアイテムを如何に売るか、つまり物売りに徹してしまい、また安易な価格競争を、私たちは生んでしまっているんです。
アワード商品を購入されるお客様も、継続したアワードイベントの場合、最初の精神よりも如何に安く買うかの使命が重要になってしまい、それをデフレの世の中がお客様をさらに追い詰めているのが現状です。
私たちアワード業界に従事する者は、アワードの意義を忘れてはなりません。魂の注入の儀式を大切にせねばなりません。商品を安くしても文字彫刻代をしっかりいただき、プロとして正しく仕事をするべきだと思います。
もうひとつ文字代が軽んじられる状況はネット販売にも隠れています。アワード商品をネットで購入されるお客様へ、最初から文字原稿を整えられている方は少なく、どうしても後からのご提供になる場合が多いのが現状です。そうするとすでに決済がネット上済んでしまい、後から追加で文字代をいただくのが難しい流れになっているのです。ご購入時に文字原稿と文字代が確定できるシステムの確立が必要です。
今の業界でこのようなことを考え発言するのはドンキホーテのようですが、WINは文字彫刻を大切にし続けます。自信を持って、有り難く文字彫刻代を頂戴していただくよう、お願いし続けます。

2011年01月01日
子供からお年玉もらう?
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
しばらくブログの更新が途絶えておりました。言い訳はいろいろありますが、やはり自らの不徳です。申し訳ありません。今年は必ず月に最低一回の更新を新年の誓いの一つにします。
さて、皆様新年第一日目を如何に過ごされたでしょうか? 我が家でも朝のお節料理を前に家族で新年のあいさつを交わし、小学校一年生の愚息にお年玉を渡す儀式を行いました。でも愚息は気恥ずかしいのかなかなか挨拶しません。したがってお年玉も渡せないので、そのまま放っておいて食事を始めました。
ちょっとすねた愚息は席を離れ、うだうだしてましたが、やがて戻ってきた時、何も言わずにお年玉を渡してやりました。 まだまだ金額よりもお札の枚数に感動する愚息、中を覗いて複数枚の札に一瞬にんまりしましたが、まだすねた顔を続けています。しかし時間が過ぎ食事を進めるうちにその顔が徐々にほどけていき、食事が終わるころにはいつものやんちゃな愚息に戻っていました。
食事が終わって、コーヒーを味わい、ちょっとほっこり休んでいると、愚息が財布を持って近寄ってきて、おもむろに千円札を取り出し、「お父さん、お年玉」と言って、渡してくれました。「アホか」と言って返そうと思った瞬間、これは愚息のそれなりの感謝の表し方なんだと思い、「ありがとう」って言って素直に受け取りました。その思いと、気前の良さに感動してしまいました。
まさかこの歳でお年玉をもらうとは思いませんでしたが、生涯忘れることのできないお年玉になりました。
2010年10月09日
「踊るき、メダル掛けて」
タイトルの言葉は、高知県に住むある小学2年生の少女のものです。非常に生存率が低い特殊なガンに侵されながら、頑張って生きています。発病から5年生きた例は無いそうですが、彼女は今5年目に挑戦しています。彼女の頑張りを支えているのが、土佐のよさこい踊りです。
今年彼女は、ガンに蝕まれ体力の弱った体で、周りの反対も押し切り、かねてからあこがれのよさこい踊りのチームに参加し、厳しい練習にも耐え、晴れてよさこい祭の舞台に立ちました。踊りを踊ると感動した人たちが踊り子にメダルを掛けてくれます。彼女は三個のメダルを獲得しました。
祭も終わり、家にいる時、彼女は家族の前で、踊りを披露し、メダルを掛けてもらう遊びに興じているそうです。その時の言葉が、「踊るき、メダル掛けて」なのです。そうやって彼女は発病から5年目、来年のよさこい祭を目指しています。
これは高知新聞で紹介されていた実話です。アワードの業界に身を置いている私たちにとって、身体が震える感動をいただきました。メダルもこんな素晴らしいお話に参加させていただけるのですね。
折しも10月11日体育の日には、大阪城ホールおよび周辺で、よさこいソーラン踊りの祭典、「大阪メチャハピー祭」が行われます。ここでは提供させていただいたWINのメダルが活躍します。一つ一つのメダルが子供たちの小さなドラマに関わっていると思うと、とても厳粛な思いです。
アワードという素晴らしい仕事に携われていることに、感謝の思いが深まります。

2010年08月06日
文字通り自然の脅威を体験
夜行バス直行で富士山五合目に朝到着。そこからガイドさんに従って30人ぐらいが一団となって午前11頃出発し、夕方までに八合目の山小屋を目指し、山小屋で仮眠した後、夜中に登頂を目指してご来光を拝むという予定でした。
ところが登山当日は、前日まで晴天続きであったのに、五合目出発時点から激しく雨が降っていました。もちろん雨具の用意はしていましたので六合目過ぎるぐらいまでは大きな問題はなく、小学校1年生の息子も楽しんでいました。
上がるにつれ、天候はどんどん悪化してきます。風も強くなり横殴りの雨にさらされ、登山用の雨合羽でも雨水は遠慮なく染み込んできます。私は甘く見ていて、実はゴルフ用の雨合羽を着用していました。最初は良かったですが嵐の中では意味はなく、全身ずぶ濡れ状態です。
七合目から八合目までは岩場が多く、その岩場も滝のように水が流れてきます。また気温も下がります。息子は、「なんでこんなところに連れてきたんや」(自分が連れて行ってくれと言ってたのですが)とずっと泣きどおしでした。遭難する状況とはこうなんだと、実感できました。本当の極限ではなかったのでしょうが、私達には限界でした。やっとの思いで辿り着いた八合目の山小屋、急いで濡れた衣服を脱ぎました。しかし着替えも十分でなかったため、寝床の布団にもぐり込みました。しばらく震えは止まりませんでした。
天候は益々厳しくなり、夜中には雷も鳴り始め、ガイドさんが登頂は断念を宣言。翌朝ゆっくり下山することになりました。同行の全員が納得する決断でした。
翌朝は雨も止み、下山途中から青空も見え、下山中には濡れていた衣服も乾き始めました。雲海を楽しんだり、雲間から見える下界の景色に見とれたり、打って変わって下山は楽しいものになりました。
前日あんなに泣いていた息子も、「二年生になったらまた挑戦する」と言ってくれました。したがって、来年また必ず挑戦します。
☆ ☆ ☆
厳しさを先に教えてくれた富士山に感謝です。準備の甘さを思い知りました。これがもし天候が良く登頂に成功していたら、山を甘く見続けて、いつか本当に遭難することになったかもしれません。ありがとうございました。 (下山後の温泉とビールは最高でした!!)

2010年07月11日
金剛山登山
昨日、大阪で一番高い山、親子3人で金剛山に登ってきました。これで2回目です。この春卒園した保育園仲間の2組の家族と一緒でした。子供たちは小学校一年生3人と、まだ年少組の子が1人。途中でおんぶや抱っこの状況になるかと思いきや、全員元気に登り、下山してもはしゃぎまわって元気いっぱいでした。
辿ったコースは、ハイキングよりも「登山」を感じさせる箇所がある、子供たちにとってはちょっと大変かなと思えるものでしたが、子供たちは遊具遊び感覚で難所も突破。次の「危ない所」を楽しみにする始末。楽しかったです。
我が愚息は、前回登った時、金剛山が大阪一と知り、「日本一はどこ?」と聞いてきたので、「富士山」と答えると、「次、登る」と宣言しました。それで今月末には富士山にも挑戦します。我が家にとっては、今回の登山は富士山登山の装備も持っての練習を兼ねたものでした。
金剛山の山頂には、登山証明書を発行してくれる場所があり、大きな木製パネルには登山節目回数ごとに名札が掛けられています。一万回以上登られた方がちらほらいらっしゃいました。500回ぐらいは序の口。すごい世界があることを思い知らされました。
そして切り番を達成すると、メダルや楯をもらう(買うのかもしれませんが)ことが出来るようです。そのメダルや楯は、残念ながら大阪の由緒ある同業者のものですが、素晴らしいものです。登山の達成感にアワード、とても良い組み合わせです。
何かコンテストで一番になってもらうアワードはもちろん良いですが、このようにコツコツ努力の上での達成に対してのアワードもとても大切だと実感できました。日常の生活でもこのようなアワード場面がたくさんあります。アワードの本当の活躍はまだまだこれからです。

2010年05月05日
Free Ride
とうとう強烈に昔を懐かしむ心境を迎えてしまいました。 どちらかというと過去は振り返らず、今を大切に生きてきました。
先日、好きな音楽はと聞かれて、「Pable Cruise」と答える機会がありました。質問した人はどんなグループチンプンカンプンで、早速ネットで調べたそうです。そして、「youtubeで見ましたよ。フリー何とかというサーフィンの映像と一緒にオーシャンブリーズが流れてました・・・」 と教えてくれました。
何? フリー何とかというサーフィン映画、ひょっとして幻のサーフィン映画「Free Ride」? しかし、仕事や子供との時間に追われて確かめることができませんでした。
本日5月5日子供の日、午前中会社で残務整理をし、午後から久しぶりに自由な時間ができました。子供は外で遊んでいます。
そしてやっとyoutube見ました。正しく幻のサーフィン映画「Free Ride」の一部で、Pablo Cruiseの「Zero to Sixty in Five」や「Ocean Breeze」がバックに流れています。すっかりハマってしまいました。70’s半ばから80’s前半の時代にタイムスリップしたような気分です。あの頃憧れていたサーフィンやサーファーのお姉さま方、アメリカ村の雰囲気、「Free Ride」を流しているカフェバー、いろいろな場面の音や匂いを感じました。
ついでにPablo Cruiseをネットで調べてみると、公式サイトがあって、まだ活躍しているではないですか。早速に会員になりました。グッズは海外発送していないようでちょっと残念です。一年を通じてマイナーなイベントでコンサートをやっているようなので、今度機会があったら絶対に参加してみたいと思っています。
50歳を過ぎて、とうとう昔を懐かしむ心境になってしまいましたが、なかなか良いものだと思ってます。

2010年04月18日
ピカピカの一年生
厳しい経済状況下ながら、今年も2名の新入社員を迎えることができました。非常に幸せな事です。
新入社員研修も終わり、今は現場で一生懸命実地研修に励んでくれています。
私たち先輩も身が引き締まります。新入社員がどう育つかは、全て先輩にかかっています。
大久保寛司氏の「月曜日の朝からやる気になる働き方」(かんき出版)にも次のように書かれていました。
「・・・多くの企業では、優秀な人材、素晴らしい人材を採用しても、しばらくするとダメになっていきます。先輩を見ているうちに、ダメになるのです。
−朝は挨拶しない方がいいな
−他の人の仕事は手伝わない方がいいな
−自分の殻に閉じこもっている方がいいな
−他部門の責任にすることが大事なんだな
−成果だけを強引に奪いとることが大切なんだな
これらはすべて、先輩を通して学ぶのです。先輩の存在が、人が育つ一番の環境だと思います。」
本当にその通りですね。そしてさらに進めば、社員が燃えていないのも社長が燃えていないから・・・、ということになります。身がさらに縮こまる思いです。
一方、我が家でもピカピカの一年生が誕生です。愚息も早小学校一年生。ランドセルしょって最初の登校日、親として「ついて行ってやろうか・・・」なんて心配しましたが、まさに杞憂で、愚息はしっかり自立を始めています。
そして昨日、自転車にもやっと乗れるようになりました。いろいろ自信がついてきているようです。日曜日の今日も朝から近所の友達と自転車で遊び回っていました。